澄みコロ(澄みなすものはココロなりけり)

ちょっと鬱(時々躁)気味のアラフォーリーマン兼フリーランサー。人生という荒波に翻弄されている近況報告ブログです。読者様のお役に立てる記事を書く所存でございます。

口頭伝達における悪意と善意について思う事

人を介して意思を伝達する際、

口頭での伝達には注意が必要だと私は思う。

何を今更と、思われるだろうが、敢えて考察したい。

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私のココロには善意の人格と悪意の人格が混在していると、認識している。

基本、善意の人格が優勢なのだが、それが過ちの原因となる場合がある。

他人を安易に信じて、後悔をする。

単に自分の期待通りにならない事を嘆いている。

自業自得である。

 

第三次産業のサービス業がこれだけ発達した御時世、IT関連の仕事に携わっている私だが、仕事の大部分は、関係者とのコミュニケーションが占めている。

仕様の決定や計画策定、ステークホルダへの報告などなど、兎に角、他人とのコミュニケーションばかりである。

その合間を縫って、ドキュメント作りや設定作業を行う。

人と人との繋がりで仕事をしているのだから、仕方ない。

対価を頂ける仕事が出来るだけ有難い。

 

さて、本題の悪意と善意の話だが、

誰とは言わないが、人の話を捻じ曲げるのが好きな輩が存在する。

上手い嘘のつきかたは、嘘の中に少々の真実を含めるというそうだ。

話の歪曲も同様である。

業務伝達であっても、直接、その相手と会話せずに、別の人を介して伝達するのであれば、

その伝達割合は、

伝達元が伝えたかった内容の5割前後位だろう。場合によっては、その割合は更に下がる。

直接、伝えるべき相手と会話しても、何割かは伝わらないのだから当然だ。

 

人のココロと思いとは、

なんと不確かで虚しい側面を持っているのだろう。

「気がすむまで泣いてイイよ」と、

言われたい…

 

泣いていても仕事は捗らないので、

頭と手を動かして、今日も働く。働く。

 

話が脱線し放題だが、

言いたかった事は、

「人と仕事するときは、悪意を持たれない様に、敢えて敵を作らない様に、良い人間関係を構築するとこが肝要」という事だ。

事前の一策事後の百策である。

 

当たり前田のクラッカーだが、

そこが一番苦手だと自覚しているから、

あぁこの世は生き辛い。

猫になりたい今日この頃である。

猫は猫なりに苦労もあるだろうけど…

 

 最後までお読み頂きありがとうございました。