口頭伝達における悪意と善意について思う事
人を介して意思を伝達する際、
口頭での伝達には注意が必要だと私は思う。
何を今更と、思われるだろうが、敢えて考察したい。
私のココロには善意の人格と悪意の人格が混在していると、認識している。
基本、善意の人格が優勢なのだが、それが過ちの原因となる場合がある。
他人を安易に信じて、後悔をする。
単に自分の期待通りにならない事を嘆いている。
自業自得である。
第三次産業のサービス業がこれだけ発達した御時世、IT関連の仕事に携わっている私だが、仕事の大部分は、関係者とのコミュニケーションが占めている。
仕様の決定や計画策定、ステークホルダへの報告などなど、兎に角、他人とのコミュニケーションばかりである。
その合間を縫って、ドキュメント作りや設定作業を行う。
人と人との繋がりで仕事をしているのだから、仕方ない。
対価を頂ける仕事が出来るだけ有難い。
さて、本題の悪意と善意の話だが、
誰とは言わないが、人の話を捻じ曲げるのが好きな輩が存在する。
上手い嘘のつきかたは、嘘の中に少々の真実を含めるというそうだ。
話の歪曲も同様である。
業務伝達であっても、直接、その相手と会話せずに、別の人を介して伝達するのであれば、
その伝達割合は、
伝達元が伝えたかった内容の5割前後位だろう。場合によっては、その割合は更に下がる。
直接、伝えるべき相手と会話しても、何割かは伝わらないのだから当然だ。
人のココロと思いとは、
なんと不確かで虚しい側面を持っているのだろう。
「気がすむまで泣いてイイよ」と、
言われたい…
泣いていても仕事は捗らないので、
頭と手を動かして、今日も働く。働く。
話が脱線し放題だが、
言いたかった事は、
「人と仕事するときは、悪意を持たれない様に、敢えて敵を作らない様に、良い人間関係を構築するとこが肝要」という事だ。
事前の一策事後の百策である。
当たり前田のクラッカーだが、
そこが一番苦手だと自覚しているから、
あぁこの世は生き辛い。
猫になりたい今日この頃である。
猫は猫なりに苦労もあるだろうけど…
最後までお読み頂きありがとうございました。