鬱病になった「きっかけ」
◆鬱病(初期)になったきっかけ(序章)
プロフィールにも記載しております通り、40歳を過ぎた頃から若干、鬱っぽいな...と、自覚がありました。鬱気味のアラフォーリーマンです。
会社という組織に属していて、40歳にもなると、なんだかんだで管理職に任命されてしまっていました。社歴が十数年ありまして、人材不足でとりあえず~みたいな、人事です。
適当な経営者です。評価制度なんてありません。ボスの社員に対する心証が評価システムです。(なんて素晴らしいシステムでしょう!!御社はもう導入済みでしょうか?よろしければご紹介いたします!)
小さな会社ですが、これがクソ忙しい会社で、そこそこ儲けております。医療関連のIT会社です。いわゆる医療業界にぶら下がっている医療情報関連会社です。
◆まずは「課長職」での伏線
私が初めて管理職に任命されたのは、最初は30台中盤頃、「課長」って職位です。
上司はいきなり社長(ラスボス)です。課長の上は?部長は居ないのか?って話ですが、規模が小さい数十人の会社で、先輩だった元課長は、早々に大手SIerにとんずらしてしまいました(怒)。
その時も、ちょっと納得いかない経緯があったのですが、またの機会にします。とにかく私を監督する人がいない(社長は現場に無関心)という、放置プレイ状態が始まりました。
さて、課長の頃は、部下が2,3人で、自身もプロジェクトにガンガン関わっていたので、マネジメントなんて全くしていませんでした。(ここだ!ここがターニングポイントだったんだ(笑))規模の小さいプロジェクトばかりだったので、その日暮らしのやっつけ作業の毎日です。(その頃の部下に感謝!!)
そんな課長の月日は、現場での個人スキルを相当レベルアップしてくれる環境でした。
メンバーが客(院長先生)を怒らせても、ソッコーで鎮火。ソフトのトラブルも開発元の解析結果が出る前に、現場で解決。ハードのトラブルは、重いレーザープリンターを事務所から営業車で一人で持ってきて、数時間で解決。
あとは正規の保守会社に引き継ぎと、
「事件は現場で起こっているんだ!!」って心で叫びながら、トラブル解決の日々を謳歌していました。好き勝手やって、業績に貢献していました。
◆そして運命の「部長職」任命
ところが、40歳位になって、「部長職」に任命された時、ハット気づきました。
「管理職ってなにすんだ?」。
時すでに遅し、マネジメントをほとんどやってこなかったツケが、徐々に音を立ててやって来たのです。ツケが書かれたノートを持った死神です。ノートには私の名前が書いてあります。(妄想癖はないと自覚していますが、たとえ話がズレている時があると指摘されます。)よく言えばイマジネーション豊富?クリエイティブ?なんでも構いません。
話を戻しますが、うちの会社には、プロフェッショナル職というスキルパスはありません。マネジメント職だけが昇進の一本道です。逃げ場は用意されておりません。逃げたら課長職の下の主任です。退職まで安月給の冷や飯でしょう( ;∀;)
ラスボスは、「部長はしっかり部下を管理しろ!手も動かせ!!」と、仰っております。
やれやれです。「社長は部下を管理なんてしてないのに、、」なんてことは、禁句です。その日のうちに席が無くなるでしょう。小さな会社はスピードが命です。「命!ダー!」
「手(技術)」は長年の経験値稼ぎのポイントを、現場で役立つスキルに充ててきたので、相当レベルアップしていましたが、マネジメントは幼稚園児レベルです。マジです。大目に見ても小学生低学年程度の「何とか当番」程度です。
部下が十数人になっていましたが、
「何も管理しない自由なマネジメントが一番(笑)」という、訳のわからないことを心の中で呟いていました。
そんな状態でも、毎日忙しく、それぞれの部下が責任をもってプロジェクトをこなしていたので、何とか仕事は回っていましたが、組織瓦解の予兆は徐々に目に見えて、増えていきました。。
自業自得。。
◆そして「その日」はやって来た
そして、その日はやってきました。私を放置していた社長の下に、大手の会社から役職定年で天下りしてきた大ボスがやって来たのです。
いきなり取締役に就任です。(ひゃあ~)そいつがデスノートを持った死神であることを認識するのに、大した時間は必要ありませんでした。
会議の度に発せられる私への恫喝(会心の一撃)が、、「君は何を管理してきたんだい???」と、有難いお言葉です。
私の心は、日に日に病んでいき、身体にも明らかな鬱症状が自覚できる状態になっていきました。
◆鬱の初期症状(私の場合)
・就寝しても2~3時間で目が覚める。
そこから朝まで眠れない。
・ちょっとした事で泣きそうになる。
・日中頻繁に手足が震えるような感覚に
襲われる。
・職場の人とは、必要最低限の
会話しかできない。
・問題の大ボス(取締役)とは、
会話どころか目も合わせれられない。
・家族との会話もままならなくなる。
・死んだら楽だと考えるが、
妻子のことを考えて、
あとちょっと頑張ろうと思う。
こんな感じが、3週間ほど続いて、徐々に悪化していった感じでした。
その間に、医療機関には行かず、神経不安症を軽減する漢方薬をドラックストアで購入したが、全く効果なし。
以上が、私が鬱の初期症状を自覚した経緯です。
その後、私がとった行動は「初めての「心療内科」受診」に記載いたします。
最後までお読みくださりありがとうございました。